シク教の聖地【ハリマンディル・サーヒブ】

寺院

このページではシク教の聖地である【ハリマンディル・サーヒブ】についてご紹介したいと思います。

ハリマンディル・サーヒブは「ダルバール・サーヒブ」や「黄金寺院」の名称でも呼ばれます。

ここでは「ハリマンディル・サーヒブ」に統一してご説明したいと思います。

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地がエルサレムと同じように、シク教の聖地は「ハリマンディル・サーヒブ(黄金寺院)」です。

黄金寺院の前で祈りを捧げるシク教徒
上空から見た黄金寺院 Google Earthより

どこにあるの?

黄金寺院はインド・パンジャーブ州、アムリトサルと呼ばれる都市にあります。

パンジャーブ州周辺の地図 Google Earthより

比較的パキスタンの国境に近い都市です。

アムリトサルの位置 -パキスタンの国境に近い都市です。Google Mapsより
アムリトサルの詳細地図 – Google Mapsより

アムリトサルはパンジャーブ州の中でも2番目に人口が多い都市です。

黄金寺院の影響で有名な都市でもあります。

歴史

誰が建てたのか

シク教の代表的な礼拝所(グルドワーラ)を作る構想・計画が第3代目グル「グル・アマル・ダース」の時代にありました。

グル・アマル・ダースが亡くなった後に、第4代グル「グル・ラーム・ダース」が構想と計画を受け継いで、アムリトサルの都市の建設と人口池の建設が始まったのです。

最終的に完成したのは1604年、第5代目グル・アルジャンの時代の時代です。

当時は金箔は使用されず、木造建築でした。

いつ金色になったの?

グル・アルジャンの時代までは、情勢が穏やかでしたが、異教徒を認めない当時のムガル帝国は次第にシク教への圧力を強めていきます。

そのような情勢の中でハリマンディル・サーヒブはムガル帝国やアフガニスタン王国、ペルシャ帝国等に侵攻・破壊され、沐浴するための人口池まで埋められましたが、その都度シク教徒は再建しました。

現在私たちが見ているハリマンディル・サーヒブは1764年に再建されたものです。

また、18世紀にシク王国の君主「ランジート・シング」が寺院の内外を金箔で覆い、今の姿になりました。およそ750kgの金が使用されたと言われています。この頃から『黄金寺院』と呼ばれ始めたのです。

シク王国の君主「ランジート・シング」- パンジャーブの獅子とも言われた
聖典の前に座っている「ランジート・シング」。背景に金箔で覆われた黄金寺院がある。

なぜ人々は黄金寺院を訪れるのか

黄金寺院にはインド各地からだけでなく、世界中の国々から一日に平均約10万人の参拝者が訪れます。

黄金寺院の最大の特徴は世界一大きい無料食堂があるところでしょう。この食堂は建設されたときから続いており、ここでは、人種、出身、身分、性別などの隔てがなく、訪れた全ての人々に無償で好きなだけ食事を提供しています。

食堂は24時間開館で食事のメニューは毎日変わります。食事を作る人々や配る人、食器洗いや後片付けなどはすべてボランティアによって行われており、もちろん、誰でも参加できます。

黄金寺院の美しさは外観だけにとどまりません。黄金寺院は二階建ての建物で、出入りする扉は4つあります。これは東西南北どこから来た人でも受け入れることを意味しています。

建物の中に入りますと、シク教の聖典「グル・グラントサーヒブ」と讃歌を歌っている方々がいます。

寺院のなかも外と同じように金で装飾がほどこされています。そのまばゆい美しさに魅了されて訪れる人も少なくありません。

基本的に寺院内での撮影は禁止されており、また、装飾品に触れることもできません。参拝するときは必ず頭をターバンや布で覆い、落ち着いて行動することがルールとされています。

まとめ

  • 黄金寺院の名称は様々なものがあり、「ハリマンディル・サーヒブ」「ダルバール・サーヒブ」とも呼ばれる。
  • 黄金寺院はインド・パンジャーブ州アムリトサルという都市にある。
  • 黄金寺院は18世紀にシク王国君主「ランジート・シング」によって金箔で覆われた。
  • 人種・民族・宗教等関係無く、世界中から参拝者が訪れる。
  • 世界一の無料食堂(ランガル)が黄金寺院にある。
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